グローバル化 [ダイヤモンド・オンライン] 2013年04月23日

ニッポンのグローバル化はいつだ!? 
―世界は日本人のビジネスをこう見る【第3回】「鄧小平はんのために一肌脱がなあかん」

グローバル化時代に、日本人の仕事ぶりは世界でどう評価されているのか。中国の改革開放期、その近代化を背後から支えた日本企業に関わる埋もれたエピソードを検証していくと、今の日本人ビジネスマンの仕事ぶりにつながる「なるほど」が見えてくることがあります。今回は、鄧小平と松下幸之助という、いずれも国家の発展の歴史に名を遺す2人のあまり知られない交友のお話です。

鄧小平の日本視察と松下幸之助

 鄧小平は1977年に谷牧・副首相を呼び出し、フランス、スイス、西ドイツ、ベルギー、デンマークの5カ国を視察して発展の水準を詳細に調べ、報告するよう命じています。これは文革以後、初めての中国首脳による高級視察団でした。視察したのは、フランスの原子力発電所、西ドイツの自動車工場、スイスの水力発電、デンマークの先進的酪農場、ベルギーの立体化高速道路などでした。

 その後も海外各国を回り、78年5月をピークとして合計20回、訪問国数は51カ国に及んでいます。その中で最も多く訪問したのが、日本でした。

 中国の首脳は、日本の高度経済成長を注視していました。終戦のゼロからスタートし、わずか7年で経済水準を戦前のピークにまで回復させ、25年で世界2位の経済大国にのし上がるという奇跡。日本は中国と同様に、儒教文化の影響を強く受けてきた国であり、中国とは思考概念も欧米諸国ほどかけ離れていません。

 50年代は、日本と中国の経済水準はほぼ同一線上にあるとされていたのに、その後の30年間で両国の差は天と地に開いてしまった。その根本原因はどこにあるのか――。

「その秘密を、私が直に探って来たい」

 最高指導者である鄧小平が自ら乗り出したのです。これは、彼のフランス留学後、初の外国訪問でした。

 鄧小平によるこの時(1978年)の旧新日鉄への視察が、上海の宝山製鉄の建設に甚大な影響を与えたことはあまりにも有名です。よって、ここでは一般にあまり知られていない松下電器の松下幸之助によるエピソードを取り上げたいと思います。

 鄧小平が松下電器工場を視察した際、同社最高顧問の松下幸之助が彼を歓待しています。鄧小平は松下に対し、「あなたは経営の神様と呼ばれています。中国の電子工業は遅れていますからご指導いただきたい」と述べると、真面目で律儀な性分の松下幸之助はそれを文字通りに受け取り、「鄧小平はんがそうおっしゃるなら、私も余生をかけましょう」と返したといいます。


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