経営戦略 2011年09月07日

知的障害者が人生を教えてくれる工場日本理化学工業が成し遂げた本当の「偉業」とは

 主力製品である、粉の出にくい「ダストレスチョーク」は、国内トップシェアを誇る。また、同社は労働基準法で定められた最低賃金をしっかり守りながら、確実に利益を出し続けている。「障害者を安くこき使っているのではないか」と邪推する人がいるとしたら、とんでもない間違いである。

 同社が知的障害者を雇用するようになったきっかけは約50年前にさかのぼる。これもいろいろなところで紹介されており、すでにご存じの人も多いかと思う。改めて経緯を記すと、以下の通りである。

 1959年のことだ。ある養護学校の先生が「生徒を就職させてもらえませんか」とやって来た。

 対応したのは、当時、専務だった若かりし大山泰弘氏である。本当は教師になりたかったのだが、社長だった父親が体を壊したため、仕方がなく日本理化学工業に入社したのだった。大山氏は「知的障害者を雇うなんて無理な相談です」と断った。だが、養護学校の先生はあきらめず、数日後にもう一度やって来た。大山氏が断ると、三たびやって来た。

大山泰弘会長。1932年東京生まれ。中央大学法学部卒業後、病身の父の後を継ぐべく日本理化学工業に入社し、専務として実質的に経営に携わる。74年に社長に就任(2008年に会長)。翌75年、川崎市に日本初の知的障害者多数雇用モデル工場を建設した。

 そして、「就職を、とは言いません。せめて働く体験だけでもさせてあげてもらえませんか」と言う。「あの子たちはこの先、親元を離れて地方の施設で暮らすことになります。一度だけでも働くということを経験させてやりたいんです」と懇願してくる。

 それを聞いて大山氏は「それでは、2週間程度なら」とやむなく受け入れた。

 就業体験にやってきたのは、2人の15歳の少女だった。2人は会社で最も簡単な仕事を担当してもらった。完成したチョークを入れる箱にシールを張る仕事だ。少女たちは、真剣に、無心に仕事に励んだ。「もう昼休みだよ」と声をかけても手を休めようとしなかった

 2週間の就業体験が終わった。大山氏は「ああ、無事に終わった」とほっとした。しかし、「終わり」ではなかった。2人の世話をしていた社員がやって来て、こう言った。「こんなに一生懸命やってくれるんだから、2人を雇ってもらえませんか。私たちが面倒を見ますから」

 大山氏が「本当に大丈夫なの」と聞くと「大丈夫です」と言う。「社員の総意です」と熱心に頼んでくるので、大山氏は観念した。2人を社員として雇うことにした。

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 2人の少女を皮切りに、同社はその後、知的障害者の雇用を増やしていく。最初は障害者雇用に消極的だった大山氏が、なぜ方針を転換したのか。心境の変化は、やはり予期せぬ出会いによってもたらされた。


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