グローバル化 [ダイヤモンド・オンライン] 2013年06月04日

ニッポンのグローバル化はいつだ!? 
―世界は日本人のビジネスをこう見る【第6回】ディベート教育がなかった国

人前で感情を表現するのは
どうやら卑しいことらしい??

 日本で英語の教師をしたことがあるオーストラリア人の友人が、最近「この本は特に面白いよ」と1冊の本を貸してくれました。

『JAPANESE HIGHER EDUCATION AS MYTH』(Brian J.McVeigh)。『不可思議な日本の高等教育』とでも意訳すべきでしょうか。

 欧米の知識人が日本社会を論じたものはどれも興味深いのですが、教育についての論評は、高等教育になればなるほどその評価が惨たんたるものになるのはいずれも共通しています。

 同著は日本の教育制度についての論文集です。「Playing Dumb(無知を装う学生たち)」という論文では、「学生たちは小学校から高校と、指導されることばかりに慣れていて、大学に入った頃には自力で学問を切り開くという自主性がまったく身に付いていない」と痛烈に指摘しています。

 また「自分の意見や感情を皆の前で表現することは卑しいことと信じている」とまで言います。そこに挙げられた具体例は、日本人学生ならあてはまるものばかりで苦笑させられます。

 個人的な話で恐縮ですが、私が学んだ香港大学の大学院のクラスでの苦い経験を思い出しました。授業中に与えられたテーマでディベートができず、どうしても貝にならざるを得なかったことです。ディベートができなければ、授業では話になりません。

 自分のシャイな性分や無学を棚に上げても仕方ありませんが、当時私は、「われわれ日本人は、自分の意見をしっかり持ち、意見が異なる相手と議論する、という教育を受けて来なかったのだな……」と、まざまざと認識させられ、日本の教育制度にだまされたような気持ちになったものです。


この記事を印刷する
このエントリーをはてなブックマークに追加

グローバル化 一覧ページへ

媒体最新記事一覧
PAGE TOP